2016年2月アーカイブ

柴田錬三郎著「猿飛佐助」(文春文庫)は戦国時代一のトリックスターである猿飛佐助の話から始まる。

書籍名としては猿飛佐助となっているが、同時代に活躍した真田十勇士の列伝といった形を取っている。

この「猿飛佐助」に次ぐ「真田幸村」と2冊で1対の上下巻構成のようなものだ。

現在、大河ドラマで「真田丸」が放送されている事もあり、僕は言わば下巻にあたる「真田幸村」から読んでしまった(泣)。

 

ゴールは大坂夏の陣なのだから、史実的には結果は皆様ご存知の通り。

こうした伝奇時代小説では、真田幸村が薩摩に逃れて生きていたといった話もある。

この柴田錬三郎の柴錬立川文庫版がどのような結末かは読んでのお楽しみ!

 

歴史物はよく読ものだが、不思議と今まで猿飛佐助の話は読んだことが無かった。

昭和の時代、あるいは戦前の子供達は立川文庫を読んで初めて歴史に親しんだようだ。

こうした伝奇ものに出てくる忍者は、娯楽の少ない時代において子供たちの心を勇躍させた事は想像に難くない。

かの本田宗一郎も立川文庫が歴史的知識の元だと語っていたとの事だ。

 

この本は真田十勇士の副題が付いているが、織田信長も出てくるし、淀君や柳生の章もあり戦国時代を多面的に楽しめる。

やはり伝奇時代小説と言えば忍者と柳生である。

あとは隆慶一郎の「一夢庵風流記」に出てくる前田慶次のような傾奇者だろう。

 

現在のような不透明な時代、閉塞感が漂う時代だからこそ、

こうした豪放磊落な武将やトリックスターが暴れ回る小説が読まれるようになる。

大河ドラマで「真田丸」が取り上げられ、豊臣秀吉や徳川家康を相手に

弱小国衆である真田昌幸・信繁親子が躍動する話が盛り上がるのも納得だ。

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柴田錬三郎著 猿飛佐助 真田十勇士 (文春文庫)

 

真田丸では徳川家康、本多平八郎忠勝主従のおにぎりコントが話題だが、

せっかく三谷幸喜が脚本を書いているのだから猿飛佐助ももっと型破りに描いていいとおもう。

まさに伝奇的大河ドラマ!

 

柴田錬三郎著「真田幸村」(文春文庫)は真田十勇士らを列伝風に書いたものである。

購入後、読み進めていくうちにシマッタと思った。

現在、柴田錬三郎の本は文春文庫から3冊出ているが、真田十勇士の副題をもって「猿飛佐助」も販売されている。

この2冊は真田十勇士の列伝体をとりながら各武将が時系列に語られており、

「猿飛佐助」が「真田幸村」より順番的に前の時点が語られている。

僕はもう「真田幸村」を最後まで読んでしまい結論まで分かっているが、現在「猿飛佐助」を買ってきたところだ。

これから購入されようと思われる方は、是非「猿飛佐助」を先にお読みいただくように。

 

大河ドラマで「真田丸」が放送されており、これを機にこの柴田錬三郎著の「真田幸村」を読まれる方が多いかもしれない。

初めて真田幸村の物語を読む人がこの本を手に取った場合どういう感想を持つか興味深い。

この本は柴田錬三郎が書いていることからも分かる通り伝奇ものと言われる、伝奇時代小説である。

僕も好きな隆慶一郎が書いた小説のジャンルに属するものである。

隆慶一郎は漫画「花の慶次」の原作となった「一夢庵風流記」を記した作家だ。

伝奇時代小説は史実を元に作家が様々に自由な発想、解釈を盛り込んで書かれる。

 

この「真田幸村」も奇想天外な解釈がてんこ盛りで非常に楽しく読めた。

特に、何故徳川家康が長男で有能な跡取りとなる松平信康を切腹させたり、

未亡人ばかりを側室に迎えたりしたのかの新解釈が目から鱗だった。

上質な伝奇時代小説も質の高い経営戦略も、「エッと思わせた後なるほどとうなずかせるものが最良」だとの思いを持った。

 

僕としては史実に近い司馬遼太郎等の歴史小説を読んでから、

こうした史実を元にしたフィクションである時代小説を読むことをお勧めしたい。

その方が、史実の裏に潜む謎解きの楽しさ、新解釈の楽しさを味わえるからだ。

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真田幸村〈新装版〉 真田十勇士 (文春文庫)

 

「城塞」下巻は大坂夏の陣を前に空前の賑わいを見せる大阪城下の場面から始まり、

大阪城落城後日ならず家康が大阪を走り去る場面で終わっている。

上巻、中巻では滅亡に至る組織の特性を分析する余地があったが、

下巻の大坂夏の陣に至って滅亡は免れないものとなっているため、

倒産間際の人心というものを分析する以外なくなっているように思える。

 

下巻において真田幸村をはじめとした豊臣方の各武将が爽やかさを示すのに対し、東方総大将の家康の陰険さ、

いやらしさがより一層浮かび上がってくる。

司馬遼太郎の徳川家康に対する舌鋒は鋭く、やれ薄汚いだの、やれ姦物のにおいがするだの、容赦がない。

と、同時に大事業は九分九厘事が成った後の仕上が大事だという事を感じさせる。

 

大蔵卿局が尾張徳川家の婚礼の為大いに骨を折る場面は滑稽であり、

やるせなさばかりが募る大坂夏の陣の巻のなかにあって一層ユーモラスである。

ビートたけしが言う様に、悲劇と喜劇はコインの裏表と言ったところか。

 

この物語の軸となっている「小幡勘兵衛景憲」が甲州流軍学の祖であったと初めて知った。

当初は鼻っ柱が強く、粗野で、天下取りを夢想する人物であり好感が持てた。

しかしながら、世の中が治まった途端愚にもつかない男に成り下がるところには失望した。

小幡勘兵衛は徳川の間諜でありながら、豊臣家を利するような策を進言していたのは、

世の中が治まってしまえば自分の働き場が無くなる事を分かっていたからかと思った。

 

狡兎死して走狗烹らる、ということか。

逆に言えば、有能な走狗でなくただの犬なら烹られることはない。

事実、豊臣に恩を受けていながら早々と徳川に寝返ったような犬は烹られなかった。

そこへいくと、改易された福島正則は走狗であったのかもしれない。

小幡勘兵衛も走狗から犬になる道を選んだのであろう。

 

「城塞」は大河ドラマ「真田丸」が放送されることに合わせて読み始めた。

時を同じくしてシャープの買収問題が持ち上がっている。

まさにシャープは落城寸前ですが、大坂の陣と同じ構図を感じる。

戦国の気質が絶えて無くなっていることと、創業の理念が絶えて無くなっていること。

籠城者の心理は絶えず動揺していることと、瀕死の体の企業に合理的判断力が欠けること。

大坂方の各武将、その下の兵士が統一感なく働き組織の体を成していないことと、

シャープの有能な社員の退職が相次いでいること。

家康があえて無能な大野修理治長をトップの地位に就かせておき滅亡させることと、

鴻海精密工業の郭台銘が無能で保身に走るシャープ高橋興三社長の退陣をもとめないこと。

そして豊臣の為(国家の為)一人奮戦する真田幸村(産業革新機構)という構図・・・。

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大坂夏の陣をシャープ、鴻海精密工業、産業革新機構の三つ巴に擬した図

このように、「城塞」上・中・下巻を読みながらシャープと鴻海精密工業の攻防を眺めると、

落城寸前の人間ドラマと倒産寸前の会社に見られる傾向が似ていて興味深かった。